ブログの更新がままなりませぬ。
以前は携帯からUPしていた事が多いのですが、新サーバーに替わってから
上手くUPできないですorz
何回か送ってあった文章はどこへ行ってしまったのやら?
変なところへ行っていない事を祈ります。
さて、今日は、深夜から長野の山小屋へ行ってきます。
え? 遊びじゃないです。 修理屋さんとの待ち合わせです。
先々週行ったときに、水道を凍結で破損させてしまったのです…。
は〜、とってもブル〜です。 修理代いくらかかるのだろう?
バンドエイド巻いといたら、勝手に治らないかしら?
は〜、、、
山小屋から帰ってきました。
寒かった〜。 気温はマイナス10度いってましたよ。
雪もジャカスカ降ってくれました。 車にも一晩でかなり積もりました。
車を動かす前には、雪降ろしが必要。 結構大変そうに思いますよね?
ところがどっこい、そうでもないのです。 なにせ、マイナス10度以下の世界。
雪がサラッサラなのです。 名古屋の雪とはわけが違う。
息をフーッと思いっきり吹くだけで、雪は勢いよく飛んでいきます。
とはいっても、車一台分の雪降ろしを息を吹いてやると、きっと身体の具合が悪くなるので
ブラシを使用しますが…。
とまあ、そんな気温にさらされている山小屋。 水道も凍りますわな、そりゃ。
(原因は僕の水抜きの仕方が悪かったからですが)
修理屋さんと待ち合わせて、見てもらったところ、思いのほか軽症でした。
水道管の割れはなく、凍結による水の膨張でボルトの継ぎ目がパシッと外れただけでした。
なので、パッキン交換と増し締めだけで、あ〜ら復活!
よかったよかった。 修理屋さん、有難う。
蛇口をひねれば、すぐに水とお湯が出るありがたみが身にしみました。。。
これからは、自然を侮らずキチンと水抜きしますね。
僕にとっては、2月14日は父親の命日です。
早いもので、あれから五年が過ぎました。
膵臓ガンで逝ってしまった父。 検査して発見してからわずか二ヶ月でした。
いやもうホント、あっという間の出来事で、何がなにやら。
やっと冷静に当時の事を振り返ることが少し出来るようにはなりましたが、
やはり悲しくて涙が溢れそうになるので、あまり思い出したくありません。
と言いつつ、思い出してしまうのですがね。
高校を出て、親元を離れて東京の師匠のもとに内弟子に入った僕は、
青春時代を父親から離れてすごしました。(タカトキ18歳〜28歳)
その十年の間の師匠のもとでの修行は、僕という人間を変えてしまいました。
完全に。
そのときの十年がなければ、今の僕は有り得ません。
正直、18歳より前の時期の事もあんまり鮮明に覚えてません。
忘れてしまいたかったのか、忘れてしまったのか。
とにかく、東京での十年が強烈過ぎました。 すべてをふっ飛ばしました。
僕にとって、自分の師匠は、芸道上の父です。
そりゃあ、カッコよくって、怖くって、天才で、大嫌いで、大好きで…
僕の父は日本舞踊と全く関係ない自営業でした。 昔は喫茶店をやっていました。
きちんとした人で、温厚で、堅実で、思慮深いタイプの人だったと思います。
師匠とは、かなり違ったタイプです。
東京で師匠の元にいってからは、父の事が嫌いになりました。
常に師匠と比べてしまうのです。 父がとっても地味に見えました。
「あ〜、もう、俺この人の息子じゃなくて、師匠が親だったらいいのに。」
なんて青春時代はよく思ったものです。
僕が、名古屋に帰ってきてからも、どこかそういう思いは残っていました。
仕事の悩みなんて父に相談した事はありません。
相談したって舞台と関係ない父に分かるもんか、と思ってましたから。
舞台を見に来てもらっても、感想を聞いたことも殆ど無かったと思います。
さあ、そして、父の病気が分かりました。
僕の兄は、医者です。 病室で父に色々アドバイスする姿を尻目に、何もする事ができない
自分に無力感を味わいながら、なんて事ない話をして父の姿をただ見るだけでした。
兄には「もう、何も言う事はないよ。」
僕には「お前はいい加減だからちゃんとしなさい。 兄弟で仲良くしなさい。
お母さんを大切にしなさい。 あんまり酒飲むな。 毎日、歯磨けよ。」
なんて、死ぬ数時間前まで説教されました。
そして、父は死んでしまいました。
その瞬間、堰を切ったように、ザーッと過去から今までの思い出が溢れてきました。
その時まで、忘れていたのに。 記憶にないと思っていたのに。
その思い出を噛み締めてきた五年でした。
父の死後、母にたずねました。
「ねえ、お父さん一番最後に見てくれた俺の舞台、なんか言ってた?」
「何言ってんの。良かった、って言ってたじゃない。」
聞いてなかった。 聞こえてなかった。
もう一度キチンと聞いてみたいけど、もう聞けない。
今改めて思う。
お父さん。 あなたは素晴らしい人でした。人として父として、男として尊敬します。
お父さんみたいな人になりたいと心から思います。
唯一つの本当の心残りは、僕の娘を、あなたの孫を、会わせてあげたかった。
色々思い出すと、本当に悲しい。 これを書いていても涙が溢れる。
もう、お父さんはいない。
でも、最近、娘が僕のことを
「お父さん!」って言えるようになった。 もうすぐ二歳だ。
何だかわかんないけど、心が少し楽になった。
父は57歳で亡くなった。
僕は今、36歳。
おいおい、同じ年まで生きられるとしたら、あと21年しかねえじゃねえか!!
去年の暮れ頃から歯が痛い。。。左の奥。
まったく歯痛ってヤツは困ったものです。
忘れた頃にやってくる。
ふとした時に、痛くなくなっているので、「これは治った〜!」
なんて喜んでいると、
ズ〜ン・・・ズ〜ン・・・ズズ〜ン、 と痛みがまたやってくる。
ひどくならない内にと、早めに歯科を受診しました。
「これは、親知らずが前の歯を押していて、痛みが出るのと、
そこに虫歯が隠れているかもしれませんね。ここは、一つ抜いちゃいましょう。」
と、先生に言われました。
タカトキは、ちょっと尻込み。
12年ほど前に右下の親知らずを虫歯で抜いたのですが、それはもう大変でした。
何でも、かなり変な生え方をしているのと、根っこがガツンと太い。
抜歯するのに、二時間半かかりました。 その時は。
今思い出してもとても痛い、超嫌な思い出です。
その話を先生にしたところ、
「大丈夫ですよ。腕のいい口腔外科の先生を紹介しますから!」
と言われ、今年は大事な舞台が色々あるので、今の内にと、
昨日某大学の付属病院を受診しました。
とってもリッパな建物。 中も綺麗。
とは言っても、病院は嫌いですが。
紹介してもらった先生はとても忙しい方らしく、昨日は抜歯する日の予定を
決めるはずでした。
ところが、受診すると、
「今日抜いちゃいますか? な〜に、30分もかかりませんよ。」
おおっ!さすがゴッドハンド!! 頼りになるな〜。
「じゃ、じゃあお願いします。」
予約をして、抜歯日まで悶々と過ごすより、今日のうちにやっちゃった方が心理的に楽ですよね。
と、
ところが、
麻酔をして、歯茎をザックリ切開して、ナナメに生えた親知らずの頭を割り取り、
根っこにかかると、
「う、う〜ん、こ、これは、根がかなり曲がってますね。 癒着もひどいな〜。」
バキバキ、
ガリガリ、
ガツンガツン、、、
麻酔してても、それはもう、かな〜り痛い。
あ、限界かも。。。 涙がにじんできた。
「はい、終わりましたよ〜。 思ったより大変でしたね〜。」
こっちは、うなずくのが精一杯。 時計を見ると一時間が経過していました。
「一週間後に抜糸です。」
目を閉じて合図するのが精一杯。
そんなわけで、昨日はその後一日、フラフラでした。 車で行かなくてよかった…。
口の中の出血も、なかなか止まりませんでした。
現在もまだ痛いし、血生臭い。。。
今日、母親に、昨日の親知らずの抜歯の大変さを一部始終語りました。
すると、
「お母さんに、親不孝ばっかりしとるでだわ!!」
え〜っと、それって関係ありましたっけ?
奥の歯茎に負った傷。
って、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないがっ、、、
だって大変だったんですもの!!
抜歯後3日間は、血生臭い日々を過ごしました。
迫り来る患部の痛みと、頭痛 orz.
しかも、患部では食べ物が噛めない不自由さ…。
反対側でそっと噛んで食べる始末。。。
いや〜、そうすると美味しくないんですね、何を食べても…。
酒も不味い。(いや、でも、飲むんですけどね。そんな事言ってても)
そして歯をギュッと喰いしばれないから、力も入んないんですよね。
口の中で自由自在に噛める喜びと大切さを再認識しました。
傷がくっついてからは、縫合糸のせいでとってもつっぱった感じ。
明日、ようやく抜糸です。 ふう、早く済ませたい。
歯〜は、い〜のち〜♪